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働くママ。私「emiemi」について

ごく普通の家庭に生まれます。
三人兄弟の末っ子、待望の女の子ということで大切にされました。
待望の女の子の割には、「男の子は進学させるが、女の子は進学しない。」ということが教育方針でした。

稼ぎたいと思っていた私

私自身「仕事をしてお金を稼ぎたい、自分のお金を自由に使いたい」と思っていましたので、就職することに抵抗はありませんでした。

高校三年生の時に、就職活動をしたのですが、第一希望の面接試験の日に、大雪でダイヤが乱れました。

他の学生は、雪が降っても面接試験に間に合ったのに、私は、間に合いませんでした。

一報は入れましたが、時間が守れないのは、問題外ということで見事不採用となります。そのまま卒業し、職を転々とします。

単発のアルバイトを入れると履歴書には書ききれないと思います。早いときは2週間で辞めたりしました。

今思えば、まったく自分を理解していなかったため、どんな仕事が合うのか分からず、手当たり次第、その場のノリで選んでいました。

今で言うパワハラを受けることもあり、当時はその理由も全く分からなく、退職に追い込まれることも多々ありました。

女子に嫌われる女子!?

私はお客様のこと、会話した内容、購入した商品のことをよく覚えているし、人懐っこいので、お客様に好かれたのです。

なんでも興味を持って勉強するので、ベテランの大人には可愛がられました。

そのため、年の近い先輩には、対抗意識を燃やされ嫌がらせをされることが多かったです。

当の本人はちょっとの意地悪では気付かず、あっけらかんとしていたので、余計に腹立たしかったのでしょう。

なので、「意地悪されてる?」と自覚した時には重傷で修復不可能でした(笑)そういう時は、責任者に相談してもペーペーな私が辞めるしかありませんでした。

欲深い私

こんな私でも先輩になる機会もありました。後輩の辛さを知っていたので、自分が先輩になった時には、後輩には好かれました。

ディグラムの結果の通り、親分肌なので、ペーペーとしては扱いづらく、苦労したこともありましたが、教えることに生きがいを感じることもありました。

そんな私が大きく変わったのは、子供を産んでからのことです。守るものが出来た私は強かった!

出産を機に専業主婦になりましたが、主人と年齢が離れているので、何かあった時、自分で稼いでいけるようになっていたい!とわずか産後3か月後には、実家の母の協力を得てバイトを始めました。

バイトをし始めると、どんどん欲求が出てきて、もっと稼ぎたい!と正社員で働きたいと強く思うようになりました。

その後、出産前に正社員で働いていた会社の事務要員として復職を認めてもらい、復職を果たしました。

復職してから人生の荒波にもまれることになります。

思い返してみると、学生の頃から運がない方と思っていました。

このまま平凡な人生を歩んでいくのだと思っていました。

まさか、あんな困難や試練があるなんて思いもしませんでした。

 

仕事の楽しさを知る

復職してから、色々なことに携わりました。

既存事業ではなく、新規事業を生み出す業務に従事したのですが、商品企画、商品開発、量産製造、量産管理、小売店販売、代理店営業、広告・宣伝、カスタマーサービス、など一通りのことを0から調べてはトライし、失敗してはやり直し、成功したら喜んでと、それはそれは遣り甲斐のある業務でした。

それまでの私は、あるものに対して何かをする。というルーチン化された仕事しか経験がなかったので、自分で0から作ることの楽しさを知りました。

私には、そういった何かを作って披露していく仕事が向いていると約30年でやっと気づくことが出来ました。

自信がなかった私が、自信を持てたことと言えば、某コンサルティング会社より約二年間コンサルティングを受けたことです。

その中でパーソナリティとポテンシャルを可視化し詳細な職務分析を行ったのですが、自分を知る良いきっかけになり、「これで良いのだ」と思わせてくれました。

手に入れた自分らしさ

自信をつけた私は、何事にも前向きに取り組んできました。
一つの製品を世に送り出した時は、それは何にも代えがたい思いでした。
そして、それを分かり合える同志達。

本当に毎日が楽しくて楽しくて、休みの日も仕事をしていました。
日曜日の夜は、早く仕事に行きたくてウキウキ、ワクワクして眠りについたことをよく覚えています。

モノづくりには苦しみもたくさんありました。衝突したことも多く、悔しい思いもしました。
しかし、達成感があるので、嫌なことは吹き飛んでしまいました。
あの時は、これからもこんな日が続くのだと信じていました。

モノづくりと経営の難しさ

モノづくりの難しいところは、止まるとそこで終わりということです。
作り続ける、歩き続けることが大事で、一つでも手を止めるとすべてがストップしてしまいます。

私がいた会社はそれが出来ませんでした。
作って終わりになってしまいました。
モチベーションは上昇していたので、失敗するなどのリスクを考えることが全くありませんでした。

気付いた時には時すでに遅し。衰退するだけでした。一社員の私には、何もできなかったです。
そこで、事業経営の厳しさと、経営者の重要さを学びました。

作ることは誰にでも出来ます。
しかし、それを事業にするには、ヒト・モノ・カネをどのように使うか考えるのが当たり前と思いますが、まったく考えていませんでした。

一社員では、どうしても踏み込めない領域があって、そこだけは経営者の腕にかかってしまいます。

あの手、この手でもがき続けましたが、何も変えられず、瞬く間に散ってしまいました。

最後に

本当に貴重な経験をさせていただきました。

その中の苦しさ、淋しさ、情けなさ、怒りはすべて私のノウハウになって蓄積され、これから先は、誰かのためになると信じています。

あまり暗くなりたくないので、明るめに書いてみましたが、いかがでしたか。

くらーい話は、また後ほど。

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