「5時起きなんて当たり前でしょう」そういっていたあの頃、何もわかっていなかった。
個人的な考え方を押し付けていたあの頃、今戻れるなら彼に謝りたい。
私も5時起きだった。だけど違う。会社までの道のりが全然違う。
自己中心的な考え
私は、自転車で30分、タクシーでは20分、もしくは起点のバスに乗ると30分後には会社の近く到着する。座りながら読書ができる状態だった。
最寄りの駅までは15分ほど歩くが、それでも自宅から会社まで1時間かからない。
5時に起きても9時に出社するには、どんな手段を利用しても8時に家を出れば良いだけのことだった。
彼は同じ5時起きでも5時30分には家を出て、電車で通っていた。
満員電車に乗り込み、途中で乗りかえをして朝と夜、毎日繰り返しているのだ。
18時に退社しても21時近くの帰宅で19時前には帰宅している私とは精神面も体力面もまったく違う。
それも分からないで、私はなんてことを言ってきたのだろう。今さら悔やんでも悔やみきれない。
「相手のプライドを傷つけないように気を使っていて、優しく思いやりがある」なんてよく言われていたものだ。
たった二年で私は大きく変わった。
思いやりがある人間ではなかったのか。過去の自分にそう突っ込みたくなる。
気付いた時には失っている、自己嫌悪のとき
今、会社の組織変更に伴い、捨てるものを捨て、脱ぐものを脱いで、やっと等身大の自分に戻れた。
それでも彼のように通勤時間が一時間以上かかることは無いが、押しつぶされそうなラッシュの電車に乗り込むとき、ぎゅうぎゅう詰で身動きが出来ない状態が続くとき、電車の遅延で時間を気にし焦るとき、乗り換えですれ違う人にぶつかっては謝るとき、彼と近い立場になることで、気付かされた。
「こんな思いをしながら出社していたのだ」そう心の中で思い、彼を思い出す。
それでも彼は笑っていた。お客様に提案し続けていた。そんな彼になんて言葉を言ってしまったのだろう。自己嫌悪した。
良かれと思っていても相手には全く伝わらないことがある。
あの時の私は、共感をしたつもりでいたのだ。
「私も5時起きだから大丈夫だよ、一緒に頑張ろうよ」と言ったつもりだったのだ。「つもり」って怖い。
「つもり」を思い出すといっぱい出てくる。
社内メールについても、いま読み返すと生意気な言い回し。これじゃ社内に敵を作るのも当たり前だ。
驕っていた頃は周りのことは全く気にしない自己中心的な人間だった。そう気づくのに3年かかってしまった。
そして気付いた時には何も残っていなかった。そんなバカな自分に気づくことが出来たのは、運が良かったとしか言いようがない。
あと数年遅かったら、こんな風に思えなかったかもしれない。
そう思うと、今の状況に感謝できるのだ。
さいごに
「つもり」は「つもり」でしかない。
もっとコミュニケーションを取り、上手にできれば何か変わったのか。
そう後悔するより、これを糧に前に進むことが、今の私ができること。
同じ過ちは繰り返さない。そう誓うのであった。